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あー分かった。
今さっき、息子と寝ていたら、手から水がしたたり落ちるイメージが出てきた。水が出ていくほど心がスカスカになって、クーラーの風が部分的に冷たく吹いて、それが空洞みたいで、テレビの音がうるさいなぁって思ったけど、そこにピンと張った透明感のある音が弾けて響いてきた。
「こんな音だったっけ?」と、変わった気がすると思ったのはこれだ。
イメージの中で遊んだり、イメージを分解したりする感覚を久しぶりに味わっている。
思い出させてくれたきっかけに感謝する。
ヨーグルトカップ4つ用意している間にも想う
・2歳の息子が部屋をグルグルっと走り回って、止まり、「はしり まわって いるんだよぉー!」と言う。またグルグル、止まって、「はしり まわって いるんだよぉー!」。それを何回も繰り返している。午前中。
・娘が「むっちゃんまんじゅう」を食べたいという。息子も「むっちゃん まんじゅー」と言っている。私が生まれた辺りにはなかったけどこの辺生まれのこの子達にとってはソウルフード。かき氷は100円で嬉しい。
・張り切って水着で海に向かう。「でも、これ、本当に泳ぐのか・・・」と私は半信半疑だったけど、勢いで。着いたらビーチはびっくりするほどの強風。それでもみんな泳いでいる。娘に「ごめん。うちは・・・無理!うーん、2人は、守れない。」といったらとても拗ねてしまった。しばらくボーっと海を見て図書館に行く。また今度。できればキレイな海で。
・結局海にも入れなかったのにただ真っ黒に日に焼けた。日焼け止めなどは塗っているけど、すごく自分の意識の低さを感じる。日焼けして乾燥したほっぺたにしわができてハッとする。今までほとんど思った事がなかったけど、せめて39歳の今で留まりたいと思う。案外そう思う。この間、娘が幼稚園に入った時の家庭調査票が出てきて見たら、私その頃は35歳だった。もし来年息子が入園して卒園したら43歳になっているんだ。しかも5月生まれだからあっという間に44歳。まぁ、みんな平等だからこればかりは仕方がないけど。そうかー。そうなんだ。39歳はあと9か月ある。
・そんな計算をしながら夕方一人で外に出て川の写真を撮っていると、70近いご婦人が「何を撮っているの?何かの調査?」と朗らかに話しかけてきてくれて、すごく大人の人としゃべりたい気分だったので嬉しくてスマホでインスタグラムなどを見せて川の水面の写真を撮っていることを説明した。「私、好奇心が多くてついつい聞いてしまうのよねー。すてきね。ごめんなさいねー!」と標準語で。
花柄のワンピースにお洒落な帽子をかぶってかなり美人なおばあちゃんだった。
・息子が台所にやってくる。「だっこ してくれよぉー!」という。「くれよー」って・・・。抱っこして、「だっこしてやるよぉー」と言ってみた。
おしまい。
ショートメール15件以上
ショートメール15件以上…笑
もの、熱烈なお礼を伝えてくれた。
もう、叫びたくなるほど嬉しかった。
なんてかわいい人なんだ。
もっと仲良くなりたかったなー。
娘の幼稚園の先生が結婚して東京に行ってしまうということで、リーダーさんたちがサプライズを企画、その撮影をしてほしいとのこと。
先週その一部始終の動画をようやくまとめて渡せた。
多分ご本人もびっくりして記憶もおぼろげだと思うから、それは意味があるなぁとも思った。
結婚式なんかでよくある手作りスライドみたいな手法だしソフトだし、全然かっこいいものではない。なのであえて極力シンプルにはしてるけど。
撮りっぱなしでずっと寝かせてて2日前に慌てて取り組んだものなのでざっくり編集だし文章入れるのは苦手なのでほぼ入れず。
ただ音楽好きの彼女の好みをよく知っているママさんがいたので音源を調達してもらって・・・そこだけは。
・・・って感じの。
写真も動画もすべて自分がやりたいからやっているっていう気持ちが強くて、「人のためにやりたい」っていう動機は自分の中でほぼ働かない、でも、
それをこんなに嬉しかったと、はっきりと伝えてくれた彼女のメールが嬉しかった。
今回のコトはすごく大きい!
私ももっと人にきちんと伝えないと、と思った。だいたい通じてないことの方が多いと思う。お礼や感想、気持ちなど。
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ペトロールズが好きだそうで、その中から「タイト」って曲を使ったのだけど、動画がないので残念。曲調だけで決めたけど、今、歌詞調べたら・・・アレっ 笑 て感じだったけど。まぁ、聞き取りづらいから問題なし!
結婚式用とかには向かないことは伝えたから大丈夫だとおもう。
後は、星野源の「恋」を。これは時代感重視で。
これは凡庸性がすごくて、結局とても助けられた。
今改めてみたらPVにはちょうどペトロールズのギターの方が演奏して合って、あー、二曲とも同じギターだったんだ、と。よくまとまったな、って思った。偶然。
ドラマは全く見ないしなかなか新しい音楽に疎いけど、きっかけがあって身近に感じられて嬉しかった。
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写真ブログだけどアップロード機能がエラーばかり出るので写真が貼り付けられないです。
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そして、なんて眩しいんだろうって思った
Sunny Day Service - 愛し合い 感じ合い 眠り合う【Official VIDEO】
湿った土と水しぶきと夏の空、小さい子達の笑い声。
なんて眩しいんだろうって思った。
木の葉が水でぬれて緑はさらに色濃くなってきらきらして、
天からの雫は光を反射してぽたぽた、
次々と落ちてきて足元の水たまりに波紋を広げる。
見上げたら葉っぱの間からまた夏の空。
人は、土・水・光、に帰っていく・・・だったかな。
昔、人数合わせで行った眠い眠い研修で聞いた言葉。
その時は光は分かるけど…て思っていた。
今日初めて納得できた。五感で感じてようやく理解する。
何年越しだろう。
すごい。
アゲハ蝶もずっとひらひら居てくれた。水を求めてか、不思議とずっと。
写真撮ってはないけど、
今日、見たことと思ったことは忘れたくないって思った。
ので、書いた。
写真撮ってないけど 笑
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写真はデータでは永遠に残すことはできないかも(これはまだ分からないけど)、でも、デジタル写真でも銀塩のプリントにしたら100年くらいは持つんじゃないかと言われている。あと、レーザー系の印刷も持ちが良さそう。
プリントや印刷にとにかくした方がいい。
とにかくプリントか印刷しようと思う。どんな媒体でもとにかく残る事って大切かも。
下の子が起きたらラボに行こう・・・うーん、無理かな。
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MVは、朝シャムキャッツ見たから、そりゃあ出てくるサニーデー。
大人になるっていいことだ。
映像の少年のTシャツの質感がとてもいいと思う。
マリマリの話など
「このアート教室の先生は楠の木先生です。(緑地の楠の木指さす)でも、楠の木先生は人間の言葉はしゃべらないから、私が楠の木先生の言葉を翻訳するね。私のことはマリマリと呼んでね。」とおっとりとした口調で。
公民館の緑地をステージにして自然の声を聞いて作品にしていく。
別に手元に残るものだけが作品ではなくて、その場の光によって作られて壊れていく作品とかもある。もちろん自然に帰っていくものも。
この間、娘のことを褒めてくれた。「〇〇ちゃんと今日は仲良くなったみたい。それが、べったり仲良くなるとかじゃなくて、それぞれ自立しながらもふわっと仲良くしてた。」
おぉぉぉ。すてきー。嬉しい。
ちょっとおもしろい。マリマリ。
みんな「人間関係」大切にし過ぎだと思う。気を使い過ぎというか。
でも「こうしたい」っていう意識がある上での「人間関係」なら分かる。
その順番が崩れると一気に苦しくなる。
でも学校って高校くらいまでは結構「人間関係」につぐ「人間関係」みたいな感じで苦しかった思いがある。友達に話したら、それも経験よ。って言われたけど。
娘が同じことで悩むの嫌だなぁ。
でもその窮屈さも必要なのかな。
・・・えー、でもねー。
リンクはずっと好きなECD。
娘たちの成長過程を心配している歌??闘病前に作った歌。
嫁の植本一子が撮ったのかなー。分からないけど。
昨日は振り切れたライブを聞いてきたけど、今朝には気持ちよく消化していた。
刺激・・・?みたいなのと毎日続いていく生活。の統合が上手くいってるんじゃないかなー。なかなかー。
3年ぶりに書く
ハンバート ハンバート "ぼくのお日さま" (Official Music Video)
3年近くぶりに書きます。
何が恥ずかしいって、昔の写真の下手さ。
WBはせめてオートにしてていいんじゃない・・・?と言いたい。
どうしてもオートにしたくない人。
ついこないだまで。
そして写真の圧倒的暗さ。
これもマニュアルで撮らなきゃいい話。
どうしてもマニュアルで撮りたい人。
これは変わらないかも。
ただ、スナップの練習させてもらうときとか、人に依頼されてそちらの方が適切だと思うときとか、そういう時はSPモードとかAモードとか使い始めた。
本当に頑固。
でも3年半前にデジタル一眼手に入れて、安易な方法を選ばずに頑固に遠回りにやってきたのは自分らしい。
SNSの話、
FBは今、気分じゃない。
インスタグラムは好きだけど。コミュニケーションツールじゃなくてコレクション的な。
ツイッターはやっぱり戻ってくる場所だったけど、最近妙に考え込みすぎる。
嵐のような一つの意識に持っていかれる。いいことなんだけど。
それが時々すごい「言い切り型の怒り」みたいになって、でも、だめだめ、きつ過ぎる、分かりやすすぎる表現は・・・。となって薄めて薄めて、ってなって、何もないくらいの濃度になって、昇華しきれないまま残る。
怒りってほどでもないけど、そのもどかしさは元をたどれば最大値の尊敬と肯定なのに。
そういうのも素直に認められたらいいけど。
まぁ、でも、案外、自分にしては変化を受け入れている方かも。
人は生きて死ぬだけだから。もったいないので。
今までの自分はなんて味気ないサラッとした存在なんだろう。
ちょっと人間らしさをバカにしていたかも。それが良いと思っていたわけだけど。
「あなたの写真はキレイすぎる」そう言ってくれたママさんの、感覚が少しわかる。
そして、いろいろな呪縛から逃れるための抵抗をしてみたい。
自分の子供たちを親(私)の呪縛から逃すためにはこれしかないとも思う。
すごく息苦しい。
YouTubeのリンク、この歌が常に刺さる。
ブログに音楽を流すのって反則だけど。(力業で感動させられる感があるので、くやしくなるから。)
初めてハンバートハンバートをきいたのは写真関係の方のブログで、その後YouTubeに残ってジワジワと。
今までこんな衝撃あったかな、京都のバンド「月下美人」くらいしか思いつかない。
月下美人初めて見たのもイムズホールだったっけ。
何人かでふちがみとふなと、見に行ったんよね。
で、そんなことを写真にしたい。コンセプトを決めて。撮りに向かいたい。シャッターを押せば押すだけ重たい気分がスッキリする。
半面、日常はずっと撮っていきたい。
いつかは全部つながるのかなぁ。
誰でもそうだろうけど、ずっと「こんな自分」と「あんな自分」があって、それが全てつながったらすごいことだ。
「今」と「未来」がつながったらいいのに。
写真は九大病院8階からの眺め。海行ってビール飲みたい!
ボケ味
何だか最近「人の顔が魅力的に撮れるか」を主に考えてて、あと、トリミングとか色が出てるかとか・・・を主に考えてて、ボケ味とかそういう写真の楽しさを忘れかけてたなぁと思いました。 それを思ったのは護国神社の蚤の市の「オフィシャルカメラマン企画(アルバスさんの企画)」に参加した時に他の方の写真を見てです。 一つ土物で出来た器が並んでいる棚の写真が印象的でした。 で、私のカメラとレンズでもとボケよったよね・・・ズームレンズをパスして(良いレンズはズームでも素晴らしいものはあるんだろうけど、ポンとは買えないし)せっかく単焦点レンズで撮ってるんやし・・・。真夜中に心配になって朝から撮影しました。 秋の朝、ダイニングテーブルに朝陽が射してという写真~夕方までです。
おまけ。この白くまは私が小学校の頃大分のおばぁちゃんがお土産でくれたの。
今は娘のお気に入り。
娘の名前の由の字はおばぁちゃんの「由子」から。