水のはなし
心は水と同じ。
水溜りが深く掘られたら、
水は自然にそちらに流れていくし、
そこに溜まるようになる。
心は切実な方に流れていく。
その心情の深い所まで入っていって、
その心情を自分の心で感じ、
心情のダムを掘る。
無感覚になってはいけない、と。
(相竹朝 YUKI さんの文章 FBより 掲載のご了解をいただきました)
この間亀山ののこさんの展示&トークショーで話しかけてくれた女の子。の文章。
すごい、いいなって思った。
なかなか水溜り掘らんよね。ここでは掘られるっていう表現だけど。そこがいいなって思った。
水の流れる理屈をいう大人はたくさんいるだろうけど。
水と同じように心も切実な方に流れていくのは当然だと思う。
でも自然に存在するって難しい。
色んな事柄があって、きちんとまとめていかないといけないのかな・・・と思いがちな状況だけど、全くそんな気持ちはない。
今はただ混在させておくのが自分の切実かなと思う。
人間も自然物なんだから自然にどうにか何かに繋がるだろうと思う。
・・・実は混在させておくことがものすごく面白いっていうのもある。
ユキちゃんとは帰り道一緒にアルバスさんに行ったり、おしゃべりしながら帰ったのが楽しかった。
見た瞬間から「写真撮りたい」って思っていたけど、なかなか言えず・・・。
最後に言えた。やっぱり言ってみてよかったー。
「写真撮らせて」は一番後悔しない言葉だ。
水の流れから連想して。フレーミングリップス。最近よく聞こうとするけど子供たちに消される。この「ヨシミバトルズザピンクロボッツ」はきっとみんな大好きなのではなかろうか。ここでいうヨシミはボアダムズのね。
おしまーい