風が呼びかけた(気のせいでなければ!)
一人暮らしの頃聞いてドーンときた歌。
いまでもふっとこの曲がよぎる。自分の妄想の街並みの映像と一緒に。
この間、夏の始まりの頃、初めて『風』に呼ばれた(気がした! 笑)。
風にのって実際の耳には聞こえないような声が届いた(気がした! 笑)。
本気で振り向いた。ちょっとぞくっとした。
すごく暑い日で大きな木の下にいたので木のざわめきとか小さい子供たちの遊ぶ声とか、あと木漏れ日の視覚効果が影響したのかもしれないし、気のせいのはずだけど、本当に。
もし本当だとしたらだけど。
どうせなら面白い方に考えてみる。
ご先祖様とか死んだ人かもしれないし、過去や未来の自分かもしれない。
幸せな気持ちになれたので、これに気づけて良かったと思う。
いつかおばあさんになった自分が、夏の始まりにふと思い出してこの時の自分に呼びかけるのかもしれない。何を呼びかけるのか。映画みたいな妄想をしてみる。
今日DMで友人とやり取りしたんだけど、なかなか文章だけでは難しい。
自分の文章じゃニュアンスが伝わらないし。
かくゆう自分も人の言葉をきっとフィルターかけて読んでいるのだろうし。
会って話せたらいいのになーと思った。言葉だけじゃない、表情や声やら揺らぐものも含めて。
その人は大切な人がいて、その人を守ってあげられないっていうのが辛そうだった。
私は上記の『風が呼ぶ』みたいなことがあってから俄然「気持ちは伝わる(飛んでいく)」みたいなことを信じるようになった。
会えなくてもきっと気持ちは向っていて、その相手は気づいていなくてもその向かっている気持ちがその人を守っているというのは大いにありえるって思える。
起こることはたった一枚の葉っぱがひらりと落ちる・・・とかそのくらいの奇跡だとしても、人間ほんのちょっと立ち止まるだけでも起こる事が変わってくるとか、よく映画でもあるし。
「・・・そんな気がするけどー。」と伝えたけど、分かってもらえただろうか。
そんなのんきな話じゃない。っていう所だろうか。
あ、決してスピリチュアルにはまってるわけじゃないですよ。そういう事もあるのかもしれないって話。あるのかもしれないと思えば少し楽になれるし、面白みも増すので。
あれ、でも、「書き言葉だけでは伝わらない、実際に会わないと」と、「会えなくても伝わる気持ちがある」っていうのは、矛盾している???
おしまーい。